徳川頼宣所用装束類

〔種別〕工芸

 徳川頼宣所用品として紀州徳川家に伝来していた装束類で、明治9年(1876)に徳川茂承により鎧櫃ごと甲冑類とともに南龍神社に奉納され、後に南龍神社と東照宮が合祀された際に東照宮の所蔵となりました。これらは縹糸威胴丸具足とともに頼宣が初陣である大坂冬の陣(1614年)で着用したものと伝えられていますが、いずれも子供用のやや小ぶりな寸法となっていることからも信憑性は高いものと思われます。なお、特筆すべき点として、陣羽織の高く立ち上がった襟や金モール紐の襟首留め、鎧下着の立襟や襟留の為のくるみ釦、脇から袖にかけての曲線裁断などに当時流行した南蛮服飾の影響が伺われます。

〔写真〕陣羽織

馬具

〔種別〕工芸

 東照宮には徳川家康所用品の馬具が伝来しています。黒漆塗鞍鐙と金貝蒔絵鞍鐙は頼宣が、海老蒔絵鞍鐙と桑木鞍は茂承が奉納したものです。なお、天正17年(1589)銘のある黒漆塗鞍鐙と天正16年(1588)銘のある金貝蒔絵鞍鐙には井関作の墨書があります。特に、金貝蒔絵鞍鐙は前輪・後輪の両面と居木上面・鐙に厚手の金・銀蒔絵で霰と雷文を施した豪華なものです。

〔写真〕金貝蒔絵鞍、海老蒔絵鐙

和歌祭仮面群 面掛行列所用品

 〔種別〕彫刻

 紀州東照宮では、徳川家康の命日にあたる4月17日に春の祭礼である和歌祭がおこなわれています。今日でも、「雑賀踊」「餅搗踊」「面掛」など多くの練り物行列が行われていますが、江戸時代には舞楽や田楽などの芸能も奉納されていました。この「和歌祭仮面群」は渡御行列に加わる練り物の一つである「面掛」に使用された仮面(96面)です。和歌祭の「面掛」は行列に参加する仮面の多さから「百面」とも呼ばれ、和歌祭の練り物の中でも特異な存在です。
 紀州東照宮には、この「面掛」に使用される能面・狂言面・神楽面・鼻高面など96面が伝わっており、これらの面の中には仮面の裏側に「方廣作」という銘文を持つ鎌倉時代末期から南北朝時代にさかのぼる可能性のある神事面をはじめ、室町時代に製作されたと考えられる古風な様式を持った能面・狂言面、近世初頭の有力な面打である「出目満庸有閑(天下一有閑)」が製作した能面など中世~近世の仮面の展開を考える上で重要な情報を有しています。

〔写真〕尉「方廣作」(神事面)、大飛出「出目満庸有閑(天下一有閑)」、和歌祭仮面群

甲冑

〔種別〕工芸

 紀州東照宮の甲冑は徳川家康所用品を徳川頼宣が寄進したものと、家康・頼宣所用品を最後の紀州藩主徳川茂承が寄進したものなどからなります。特に、頼宣により奉納された南蛮兜はヨーロッパ製の南蛮兜を忠実に模して造られた兜で、紀州東照宮および日光東照宮伝来の重要文化財の南蛮兜とともに徳川家康秘蔵の兜のうちの一つであることが知られています。また、縹糸威胴丸具足は頼宣が初陣である大坂の陣で着用したとされるもので、茂承により明治9年(1876)に奉納されました。

〔写真〕縹糸威胴丸具足、紺糸威胴丸具足

歴代紀州藩主奉納刀

〔種別〕工芸

 東照宮に伝来する刀剣は紀州徳川家初代藩主頼宣以来、歴代藩主によって寄進されたものです。これらの太刀はいずれも寄進者が糸巻太刀拵を新調して寄進するのを慣わしとしていました。刀身は、家康が所持したと伝えるものと初代頼宣から六代宗直までが寄進したものは、平安時代~鎌倉時代に作刀された古刀が多くみられますが、それ以降に寄進されたものは、江戸時代に新たに作刀された新刀が多くみられます。なお、これらの刀剣を寄進する際には、奉納者が新たに糸巻太刀拵を新調することが慣例となっていました。

〔写真〕太刀銘備前長船守行糸巻太刀拵(紀州藩二代藩主徳川光貞奉納)、太刀銘肥前佐賀住行永糸巻太刀拵(紀州藩十代藩主徳川治宝奉納)

歓喜寺文書

〔種別〕書跡

 歓喜寺は、宝治2年(1248)頃僧恵鏡が京都に開創した蓮光寺に由来するといわれ、のちに歓喜寺と改称されました。正平7年(1352)頃歓喜寺の名称とともに和佐庄内薬徳寺に引継がれ現在に到っています。中世史料のほとんどない紀ノ川下流域の中世史を構成する上で不可欠な資料となっています。特に嘉暦2年(1327)の和与(訴訟における和解)関係の文書や熊野参詣者の接待に関する文書は異色の資料といえます。時代的には13世紀後半から17世紀前半にかけてのものです。

〔写真〕和佐荘下村公文得分公事注文案、僧道覚・沙弥智性連署和与状案、沙弥道珎田畠寄進状

丹生廣良氏所蔵天野文書

〔種別〕書跡

 丹生家は丹生都比売神社の旧社家で、歴代同神社の神職家です。当家には200余点に及ぶ古文書が伝来しており、そのうち経済史、文化史上の貴重な資料である中世文書46点を10巻に表現したものが本品です。内容は平安時代から江戸時代に及ぶ多彩なもので、大半が丹生都比売神社にゆかりのあるものです。特に第一巻の丹生祝氏本系帳は丹生氏の家系と大神への奉仕の由来を述べた貴重なものです。

鉄錆地雑賀鉢兜

〔種別〕工芸

 頭の上に手拭を載せたような「置き手拭形兜」という形式の雑賀鉢兜(27.1cm×23.1cm)です。本資料は兜正面に1枚、側面に2枚の鉄板を環状に継ぎ合わせ、その上に1枚の鉄板(伏板)を置き、鉄板の継ぎ目には大型の座鋲を打ち並べています。全体的には金銀の象嵌や覆輪部が映え、頭頂部の角状の鋲や大型鋲、見上皺や切鉄(鉄片)による眉の表現、鋭く突出した眉庇の形など、勇猛な印象を与える雑賀鉢兜の優品です。

〔写真〕鉄錆地雑賀鉢兜,兜背面

南蛮胴具足(徳川家康所用)

〔種別〕工芸

 徳川頼宣が父家康所用の品として家康を祀った東照宮に奉納したものです。ヨーロッパ製の兜と胴に面頬・草摺・脇当を付けて具足としたもので、兜鉢は鉄製烏帽子形、肩当つきの胴は前後二枚胴からなります。10ヶ所の火縄銃の弾痕が前胴にあることから、強度を試験したいわゆる「試し胴」であったと考えられます。南蛮胴具足は室町時代末期に火縄銃とともにもたらされた西洋式の甲冑を指していいますが、本品は兜・胴ともにヨーロッパ製である点など他に類を見ない貴重なものです。

刀 銘信濃守藤原国広造越後守藤原国儔

〔種別〕工芸

 日向の出身で、慶長頃に京都に在住した刀工・国広と、その弟子国儔の合作刀(身長71.2cm 反り1.8cm)です。互の目乱れの刃文を持ち、全体の姿は反りが浅くいかにも新刀らしい出来のものです。大正9年(1920)4月、紀州徳川家第15代当主徳川頼倫により奉納されました。

〔写真〕刀身