看板QR①和歌山県指定文化財 太田城水攻め堤跡


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 羽柴秀吉は天正13年(1585)に太田城の周囲に長大な堤防を短期間で築き、現在も紀の川南岸の平野部を潤している宮井用水を利用し水攻めを行った。堤の一部が水圧に耐えかねて決壊するが、速やかに復旧し再び導水が行われた。中黒田堤防など水攻め後もいくつかの地点で堤防の痕跡が残っていたが、江戸時代から現代までの間に徐々に失われ、現在は出水にある堤跡のみである。

 残存する堤防の規模は幅約24m、残存長約66m、高さは隣地水田との比高から判断すると約2.6mある大規模なものです。発掘調査により、内側(太田城側)に小段をもつこと、堤防内側に山状に築いた核をもち、内側が高く外側に向かって傾斜するように盛土されている。また、堤防に使用された土の中からタイ・ソントー鉱山産出の鉛を使用した鉄砲玉が出土し、堤防の上面から江戸時代のゴミ穴が掘られていることから、織豊期に構築された堤防跡であることが判明した。構築された時期や位置からこの堤防は秀吉が太田城を水攻めするために築いた堤である可能性が高いことから令和5年度に和歌山県の指定文化財に指定された。


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