整備・復元
明治以降、城内にある建物の解体・移築や堀の埋め立てがなされ、また一方では学校や市役所、図書館などが建てられ、和歌山城は大きく変貌します。このような中、文化財として価値高い和歌山城を後世に残すため、昭和6年(1931)、国の史跡に指定されます。近世城郭としては全国で第7番目です。昭和10年(1935)には、天守閣・隅櫓・楠門等が国宝(建造物)に指定されます。しかし、昭和20年(1945)7月9日の和歌山大空襲で天守閣は焼失します。
戦後の昭和32年(1957)、岡口門が重要文化財に指定、昭和33年(1958)に市民の力で天守閣が再建されます。これ以降、西之丸庭園(紅葉渓庭園)の整備、追廻門の解体修理や発掘調査など、文化財としての保存整備がおこなわれていきます。平成18年(2006)には御橋廊下が復元され、当時の建物を体感できるようになりました。
幕末期の姿に和歌山城を整備するという計画のもと、現在も調査・研究が進められています。また、このような保存・整備を進めていくため「史跡和歌山城整備基金」をもうけ、広く寄付金を募っています。
天守閣の再建
昭和20年(1945)7月9日の夜から翌日の未明にかけて米軍のB29・108機が和歌山市を空襲しました。この空襲で多くの市民が亡くなり、天守閣も焼失しました。焼け残った石垣が写されています。天守閣のない和歌山城です。
昭和32年(1957)6月、和歌山城の再建工事が着工されました。総工費1億2千万円で、約47パーセントが市民の寄付金でまかなわれました。戦後12年もの月日をへて天守閣のなかった和歌山市に再び天守閣再建の槌音が響きわたりました。
昭和33年(1958)9月、天守閣が竣工し、10月1日から市民に開放されました。早朝から市民が列をつくり、市民のシンボルである城の再建を祝いました。和歌山市の「戦後」に終りを告げるものでした。
保存・整備
昭和45年(1970)から復元整備工事がおこなわれました。整備にあたり発掘調査がおこなわれ青銅製の壺や寛永通宝などが発掘されました。江戸時代の地鎮・鎮壇具が出土したのです。地中からのメッセージです。