近代の和歌山城
明治4年(1871)、紀州藩最後の十四代藩主徳川茂承が和歌山の地を離れ、元和5年(1619)以来、252年間続いた徳川の支配が終わりました。和歌山城は、兵部省(後の陸軍省)の管轄となり、三の丸(現在の裁判所や市役所などがある番丁)は、明治6年(1873)に売却され、二の丸より内側の内郭(現在の史跡和歌山城)は、保存すべき城郭として残されました。明治22年(1889)から和歌山城を払下げる請願が出され、県が城地を借受け和歌山公園として公開するなどして、明治45年(1912)2月、和歌山市に払下げられ市民の城となったのです。