瑤林院の墓

〔種別〕史跡

 瑤林院は慶長6年(1601)に加藤清正の娘として生まれます。その後、元和3年(1617)に徳川頼宣の正室となり、元和5年(1619)に頼宣が紀州藩主となると、頼宣とともに紀州に入り、寛永10年(1633)に江戸の紀州藩邸に移るまで14年間和歌山城で暮らしました。寛文6年(1666)に瑤林院が66歳で亡くなると、同年頼宣は和歌山市の要行寺に葬りました。
 その後、寛文10年(1670)に第二代藩主光貞は、母の追善のため諸堂を建立し、日順を開祖として寺号を現在の報恩寺と改め、報恩寺は歴代藩主の夫人・姫ら一族、藩士の菩提を弔う役割を果たしました。