森小手穂埴輪窯跡

 紀ノ川の南岸、福飯ヶ峯を主峰とする井辺前山丘陵東端部にある埴輪窯跡で、丘陵から南に派生する尾根に挟まれた谷部奧の南斜面に構築されています。井辺前山丘陵には、古墳時代後期を中心とする前方後円墳や円墳が多数築造されており、井辺前山古墳群と呼ばれています。特に、埴輪窯の西側にある井辺八幡山古墳は、前方後円墳の両側にある造出しから家・盾・太刀・人物(武人・力士)・馬などをかたどった形象埴輪が多数出土しています。
 窯跡は、標高20mのみかん畑の崖面に露出しており、窯体内とみられる堆積土から、形象埴輪の他、古墳時代後期のものとみられる円筒埴輪が出土しています。周辺では、さらに埴輪窯がみつかる可能性があり、井辺前山古墳群をはじめ近隣の古墳群に埴輪を供給していた埴輪製作地として貴重な遺跡です。

〔写真〕遠景(中央谷部)、埴輪窯付近、出土埴輪

吉礼砂羅谷窯跡

 砂羅谷窯跡は、岩橋千塚古墳群の天王塚古墳が所在する天王塚山より、南に派生する尾根のひとつの西斜面の標高36mの地点にあります。現在確認されている須恵器の窯跡は5基で、出土した坏身・坏蓋・高坏・短頸壺・甕などの須恵器からみて、操業の中心時期は古墳時代後期から奈良時代にかけてと考えられています。また、そのうちのひとつである6世紀前半段階の窯では、焚き口に近い燃焼部とみられるところから埴輪片が出土しており、須恵器の他に埴輪も焼成していたとみられます。
 周辺には、岩橋千塚古墳群があり、古墳時代後期に須恵器や埴輪の需要拡大に伴い造営規模が拡大した須恵器窯跡と考えられ、造営開始の時期は、古墳時代中期に遡る可能性が指摘されています。