和歌山市の文化財・遺跡

玉津島神社本殿附脇障子

詳細情報

読み仮名 たまつしまじんじゃほんでんつけたりわきしょうじ
指定 市指定文化財 建造物
指定日 20170406
時代 江戸時代
地区 雑賀・和歌浦・名草地区
所在地/所有者等 宗教法人玉津島神社

 和歌山市和歌浦に鎮座する玉津島神社の創建は明らかではありませんが、神亀元年(724)に聖武天皇が和歌浦に行幸し「玉津島之神、明光浦の霊」を春秋二回祀るように詔を出したことが記録に残っています。平安期から中世には、貴族や歌人などにとって、和歌浦や玉津島は「和歌の聖地」として、特別な崇敬を集めていたようです。中世には社殿を持たない神社だった可能性も指摘されていますが、慶長11年(1606)には浅野幸長により社殿が造営され、次いで紀州徳川家初代頼宣(よりのぶ)が社領を寄進し、拝殿の建立するなど近世の初めには神社が整備されていきました。
 現在の本殿は一間社隅木入り春日造り、檜皮(ひわだ)葺きで、奠供山(てんぐやま)の中腹に、東を向いて建っています。本殿の正面と側面に縁を設け擬宝珠(ぎぼし)高欄(こうらん)(柱に擬宝珠をつけてある欄干)を据え、背後に脇障子が入り、向拝(こうはい)を海老虹梁(えびこうりよう)で社殿本体と繋いでいます。彫刻の入った蟇股(かえるまた)や木鼻(きばな)、外部全面を彩色仕上げとし、飾金具をちりばめるなど、社殿全体が装飾性豊かに飾られています。現本殿の建立年代は明確でありませんが、玉津島神社には、近世初頭の復興、明和3年(1766)の祭礼再興、19世紀前半の10代藩主治宝(はるとみ)による和歌浦の整備など、いくつかの画期があり本殿の建築様式には、これらの画期と符合するような特徴があることから、慶長11年(1606)の浅野氏によるに造営以後、二度にわたる大改修を経て、現在の姿となったと推定できます。

(写真)本殿 正面、本殿 背面、向拝 龍の装飾、右脇障子彫刻 修理前