和歌山市の文化財・遺跡

圓珠院資料

詳細情報

読み仮名 えんじゅいんしりょう
指定 市指定文化財 歴史資料
指定日 令和3年5月17日
時代 江戸時代, 明治
地区 雑賀・和歌浦・名草地区
所在地/所有者等 和歌山市秋葉町/圓珠院

 圓珠院は紀州徳川家初代の頼宣(よりのぶ)の命により京都愛宕社(あたごしゃ)から和歌山城の鬼門(きもん)の護り、城下の火伏(ひぶせ)として勧請(かんじょう)された愛宕権現社(あたごごんげんしゃ)の別当寺です。和歌山城や歴代藩主の護持(ごじ)に関連する祈祷(きとう)や法要(ほうよう)を行うなど江戸時代を通じて藩と緊密な関係を結んできた紀州徳川家ゆかりの寺院であることから、6代藩主宗直(むねなお)書写の「紺紙金字般若心経(こんしきんじはんにゃしんぎょう)」や弁天堂(べんてんどう)および本堂(旧愛宕社)内の宮殿型厨子(くうでんがたずし)をはじめとする藩主やその周辺の人々が関わった遺品が多く残されています。また、享保年間の愛宕社の屋根葺替は城下の人々から広く寄付を募っておこなわれており、それに関連する台帳等が残されています。この享保の修繕における体制は以後、「享保の先例」とされ直近の明治30年代の境内建替えにまで引き継がれてきたことが圓珠院に遺された文書群からうかがうことができます。
 圓珠院資料は和歌山市内に残る数少ない紀州徳川家との関係が明確にうかがわれる資料群であるだけでなく、社寺の修復における勧進の実態がうかがえる資料群でもあるという点においても重要です。

_(写真) 紺紙金字般若心経/弁財天・毘沙門天・大黒天三尊像/将軍地蔵・毘沙門天・不動明王三尊像/本堂(旧愛宕社)宮殿型厨子