和歌山市の文化財・遺跡

桑山玉洲の墓

詳細情報

桑山玉洲の墓
    読み仮名 くわやまぎょくしゅう のはか
    指定 市指定文化財 史跡・名勝
    指定日 昭和46(1971)年1月9日
    時代 江戸時代
    地区 雑賀・和歌浦・名草地区
    所在地/所有者等 和歌浦中/宗善寺

    〔種別〕史跡

     桑山玉洲は延享3年(1746)に廻船業・両替商を営む桑山昌澄の子として和歌浦に生まれます。父昌澄は玉洲が7歳の頃に亡くなったため、若くして家業を継ぎ新田開発事業にも着手するなど事業家として活躍します。現在、和歌山市の和田盆地にはその業績を称え、桑山の地名が残されています。
     一方で、玉洲は幼少から独学で書画の研究に励み、20代の頃には本格的に画を学ぼうと江戸の書画家を訪ねています。帰郷してからは真景図など独自の絵画世界を築きます。また、優れた画論家としても著名です。玉洲は寛政11年(1799)4月13日に54歳で亡くなり、桑山家の菩提寺である和歌浦宗善寺に葬られました。

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