和歌山市の文化財・遺跡

総持寺本堂

詳細情報

総持寺 本堂
    読み仮名 そうじじほんどう
    指定 県指定文化財 建造物
    指定日 平成14年(2002)5月21日
    時代 江戸時代
    地区 貴志・野崎・湊・楠見地区
    所在地/所有者等 梶取/総持寺

     紀ノ川北岸の梶取集落内に位置する総持寺は、赤松則村の孫明秀により宝徳2年(1450)に開かれた浄土宗西山派の寺院です。16世紀中頃、御奈良天皇・正親町天皇の勅願寺となり、天正13年(1585)年の羽柴(豊臣)秀吉の兵火により焼かれましたが、直ちに復興されました。その後、寛文年間(1661~1672)に禅林寺・光明寺の末寺となりますが、紀伊・和泉八十八ヶ寺の末寺を有し、同派檀林(学問寺)七ヶ寺の1つに数えられる名刹です。本堂・総門、釈迦堂・玄関・開山堂・鐘楼などいずれも江戸時代末までに建立されたもので、学問寺としての機能をもつ寺格に相応しく、近世寺院建築を理解する上で重要です。
     本堂は大規模な建物で、方七間、縁通りまで入れると桁行九間、梁間八間相当の規模となります。内部は広大な空間の中に6本の円柱を二列に立て、これらを繋いで縦横に虹梁が架けられ、虹梁上に組物や蟇股を整然と配置しています。来迎柱頂部に安政元年(1854)の墨書があるので、造営もこの頃とみられますが、天井板に明治11年(1878)の墨書もあるので、完成はこの頃まで下るとみられます。

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