大奥
和歌山城では、近年御橋廊下に連なる二の丸西部整備のための発掘調査を実施しています。二の丸は藩主が生活し、政治を行ったところで、西部は大奥と呼ばれるエリアに相当します。これまでの発掘調査では、「和歌山二ノ丸大奥当時御有姿之図」(原図が文政8年(1825)の絵図)にみえる徳川期の遺構が確認されています。ここでは、絵図に描かれた主要な遺構を紹介します。
〔和歌山城整備企画課蔵〕
和歌山城では、近年御橋廊下に連なる二の丸西部整備のための発掘調査を実施しています。二の丸は藩主が生活し、政治を行ったところで、西部は大奥と呼ばれるエリアに相当します。これまでの発掘調査では、「和歌山二ノ丸大奥当時御有姿之図」(原図が文政8年(1825)の絵図)にみえる徳川期の遺構が確認されています。ここでは、絵図に描かれた主要な遺構を紹介します。