保田紙の製作用具
詳細情報
読み仮名 | やすだがみのせいさくようぐ |
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指定 | 県指定文化財 民俗文化財 |
指定日 | 平成20年(2008)6月24日 |
時代 | 江戸時代, 明治, 大正, 昭和以降 |
地区 | 西和佐・和佐・小倉・四箇郷地区 |
所在地/所有者等 | 岩橋 和歌山県立紀伊風土紀の丘/和歌山県 |
〔種別〕有形民俗
紀州藩初代藩主の徳川頼宣が製紙業の復興を命じ、有田郡の山保田組大庄屋の笠松左太夫が奈良の吉野から製紙技術を導入し、清水で盛行させたのが、保田紙の由来とされています。
紀州藩の御用紙として納められていた保田紙は、大正から昭和初期に最盛期をむかえ、400軒もの紙漉き屋が軒を連ねたといわれます。昭和28年(1953)の紀州大水害で有田川が氾濫して大きな打撃を受け、またその頃から和紙の需要が減少したことにより、製紙業が衰退しました。
近年は伝統技術として復興され、継承されています。保田紙の製作用具は、和歌山県立紀伊風土記の丘が、民具の調査で収集しました。