金銅造丸鞘太刀 中身無銘

〔種別〕工芸

 淡島神社に伝世した金銅造丸鞘太刀(身長73.7cm、鞘長87.88cm、柄長22.4cm)は鎌倉時代に定着した実戦用の形式の太刀です。現在は失われていますが、本来は帯に下げる為の鎖編みにした兵庫鎖の帯取りが付いていました。柄から鞘までを金銅装とした拵で、鎬造庵棟の刀身が付属します。松藤文兵庫鎖太刀(文化庁所蔵)と比べると金銅装に文様が施されておらず、帯取り金具や石突をはじめとする金具類にも文様が彫られていないなど全体的に簡素な拵となっています。鎌倉時代の絵画や文献史料には記載がありますが、実物の類品の数はあまりありません。

〔写真〕金銅造丸鞘

加太春日神社本殿

 本社の創建は明らかではありませんが、江戸時代に編さんされた『紀伊続風土記』によれば、当初は天照大神を祀っていたが、日野左衛門藤原光福がこの地方を支配した嘉元年間(1303~1317)に、藤原氏の祖神である春日三社を合祀し、それから春日神社と称するようになったとされます。現在の社殿は、慶長元年(1596)に桑山修理亮正榮によって建立されたもので、社殿は檜皮葺、一間社流造、千鳥破風と軒唐破風付きの建物です。建物の構造をはじめとして蟇股・欄間・脇障子などに豪華な彫刻が施されており、桃山時代の特徴をよく表しています。特に、蟇股の装飾に恵比寿、貝、海老など海に関わる題材がみられることは海村の神社として注目されます。また迦陵頻伽は仏典にあらわれる想像上の鳥で、上半身が人で下半身が鳥に表現されますが、蟇股の装飾に用いられるのは大変珍しいことです。

〔写真〕本殿、脇障子、迦陵頻伽(蟇股の彫刻)、海老(蟇股の彫刻)

旧加太警察署庁舎(中村家住宅主屋)

 大正10年(1921)頃建築の木造二階建、瓦葺の建物です。警察署として使用されていた当時、敷地には本館をはじめ取調室など、小さいながらも警察署として必要なものは整備されていました。当時の加太は大阪湾を守る重要な要塞地域で自由に出入りできませんでしたが、大変活気に満ちた地域だったといわれます。現在、警察署当時の本館など外観を保存し、下見板張りの貴重な洋風建築です。

嘉永橋

 嘉永橋は大阪府泉南郡岬町と接する大川港に流れ込む清水川河口に架設されています。19枚の橋板でゆるやかなアーチ形を作っています。橋の両側格には、狭間飾りをもつ欄干が6枚取り付けられており、南端詰め欄干力柱の内側には「嘉永橋」、同じく北柱には「かゑいはし」、欄干中央の柱の東側に「嘉永七年寅九月」、西側に「當浦 石野喜右衛門」と刻まれています。
 これらの内容から、嘉永橋は嘉永7年(1854)に大川浦の回船問屋石野氏により建立されたことが分かります。これは、和歌浦の不老橋(国指定文化財〔名勝〕、市指定文化財〔建造物〕)が架けられた嘉永4年(1851)から3年後のことです。
 また、嘉永橋は建立直後の嘉永7(1854)年11月5日に発生した安政南海地震の影響で大津波の被害に見舞われるものの、今日までその姿をとどめています。

〔写真〕全景、外観(清水川の上流から)、親柱