紀ノ川下流北岸の標高1m前後に位置し、和泉山脈から派生する土入川により形成された扇状地末端部の平野域に位置し、東西200m、南北250mの範囲を測る遺跡です。 発掘調査の結果、室町時代の大溝などの遺構や輸入陶磁器・備前焼大甕など多量の遺物を確認したことから、当地に勢力をもった雑賀衆の城跡であると推定されています。
〔写真〕溝(室町時代)、常滑焼甕