吉礼砂羅谷窯跡
詳細情報
読み仮名 | きれさらだにかまあと |
---|---|
種類 | 窯跡 |
時代 | 古墳時代, 飛鳥時代, 奈良時代 |
地区 | 三田・岡崎・安原・西山東・東山東地区 |
所在地 | 吉礼 |
砂羅谷窯跡は、岩橋千塚古墳群の天王塚古墳が所在する天王塚山より、南に派生する尾根のひとつの西斜面の標高36mの地点にあります。現在確認されている須恵器の窯跡は5基で、出土した坏身・坏蓋・高坏・短頸壺・甕などの須恵器からみて、操業の中心時期は古墳時代後期から奈良時代にかけてと考えられています。また、そのうちのひとつである6世紀前半段階の窯では、焚き口に近い燃焼部とみられるところから埴輪片が出土しており、須恵器の他に埴輪も焼成していたとみられます。
周辺には、岩橋千塚古墳群があり、古墳時代後期に須恵器や埴輪の需要拡大に伴い造営規模が拡大した須恵器窯跡と考えられ、造営開始の時期は、古墳時代中期に遡る可能性が指摘されています。