明治政府は国内の防御を進めるなかで、紀淡海峡の重要性を高く評価し、淡路島の鳴門・由良地区、和歌山市側の友ヶ島・加太地区に強力な洋式砲台を設置することとしました。 深山砲台は、加太南部の田倉崎砲台とともに本土側に設置された砲台跡です。明治37年(1904)に海岸部に竣工した男良谷砲台には、カノン砲4門が設置され、隣接して海軍の水雷発射施設も築造されていました。