明治政府は経済の中心地である大阪を守るため、大阪湾口部である紀淡海峡周辺に強力な洋式砲台を設置することとしました。要塞司令部が淡路島の由良地区に置かれたため総称として由良要塞と呼ばれ、友ヶ島には第1~第5の五か所に砲台が設置されました。 明治23年(1890)に竣工した第1砲台は、加太・友ケ島地区では最初の砲台で、当時、最も優れていたフランス製カノン砲が備えられ、左右両翼に観測所が設置されていました。