和歌山城内出土地鎮具 西之丸聴松閣出土地鎮具 天守台出土地鎮具
詳細情報
読み仮名 | わかやまじょうないしゅつどじちんぐ にしのまるちょうしょうかくしゅつどじちんぐ てんしゅだいしゅつどじちんぐ |
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指定 | 市指定文化財 考古資料 |
指定日 | 平成30年(2018)5月11日 |
時代 | 江戸時代 |
地区 | 吹上・高松地区 |
所在地/所有者等 | 和歌山市 |
聴松閣(ちょうしょうかく)出土地鎮具(じちんぐ)は昭和48年(1973)2月に紅葉渓(もみじだに)庭園の復元整備工事中に聴松閣跡の地下30cmから輪宝(りんぽう)の上に賢瓶(けんびょう)を載せた状態で出土したものです。賢瓶納入品(のうにゅうひん)のうちの寛永通宝は背に「文」の文字が入る寛文8年(1668)~天和3年(1684)の鋳造であることから、聴松閣出土地鎮具の埋納時期は17世紀後半に限定できるものと考えられます。なお、聴松閣出土輪宝に近いものとしては長福寺(ちょうふくじ)(奈良県生駒市)から出土した八鈷輪宝(はっこりんぽう)が挙げらます。
天守台出土の地鎮具は弘化3年(1846)に落雷により焼失し、嘉永3年(1850)に再建された天守閣(弘化4年(1847)着工)に伴うものです。正式な発掘調査による出土ではく、掘削工事中の不時発見であったが、発見当時の土木関係者による状況説明の伝聞が残っており、これらの地鎮具が大天守の4本の大極柱より内側からの出土であることはほぼ確実であるとされています。このことからも、長保寺文書(ちょうほうじもんじょ)(徳義社資料)にある再建天守閣の地鎮祭(じちんさい)で使用されたものであると考えられます。出土した地鎮具に過不足が無いことからも、再建天守閣で行われた地鎮祭は初代の天守閣で行われた地鎮の修法(しゅほう)を厳密に踏襲したものであり、真言宗の正式な儀軌(ぎき)に則って行われたと考えられます。
以上のように、和歌山城西之丸聴松閣出土地鎮具および天守台出土地鎮具は埋納された時期がほぼわかるだけでなく、徳川御三家の一つ紀州徳川家の本城であることから、真言宗の地鎮の修法に正式に則っておこなわれたことがよくわかる大変重要な資料です。