総持寺釈迦堂
詳細情報
読み仮名 | そうじじしゃかどう |
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指定 | 市指定文化財 建造物 |
指定日 | 平成9年(1997)5月15日 |
時代 | 室町時代 |
地区 | 貴志・野崎・湊・楠見地区 |
所在地/所有者等 | 梶取/総持寺 |
総持寺は紀ノ川の北岸の梶取集落の中に広大な寺地を占めています。この寺は鎌倉時代から南北朝時代の守護大名である赤松則村の孫明秀によって宝徳2年(1450)に開かれたと伝えられています。寛文年間(1661~1672)には禅林寺・光明寺両末寺となり、紀伊・和泉両国に八十八ヶ寺の末寺を有するようになり、西山浄土宗檀林三ヶ寺の1つに数えられるなど名刹として現在に至っています。
釈迦堂は、本堂と廊でつながれており、本堂と玄関をつなぐ太鼓橋をくぐるとちょうど釈迦堂の正面にくる配置になっています。ほぼ方七間の規模の大きな建物で、正面一間通を吹放の広縁とし、その奥は大きく前後に二分されます。前半分の桁行七間・梁間三間は広大な外陣として内部に柱を一本も立てない構造です。後半分は両側面に広縁をとり、残りを三列に割って、中央を仏間があります。骨組みや意匠の面では、広縁の正面柱通りと仏間正面に大虹梁を架ける以外は長押で軸部を固めて、外回りに船肘木を用いる以外は組み物その他の装飾部材を一切使わず、簡素なつくりです。正面扉金具に天保4年(1833)年の刻銘があり、その頃の完成と考えられます。