安原荘御舩山之碑 (仁井田好古撰文碑)
詳細情報
読み仮名 | やすはらのしょうみふねやまのひ(にいだよしふるせんぶんひ) |
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指定 | 市指定文化財 歴史資料 |
指定日 | 平成元年(1989)5月23日 |
時代 | 江戸時代 |
地区 | 三田・岡崎・安原・西山東・東山東地区 |
所在地/所有者等 | 相坂/安原八幡神社 |
江戸時代後期の紀州藩の儒学者で、『紀伊続風土記』を編纂した仁井田好古が、紀州の史跡を顕彰するために碑文を作成した碑の一つです。紀州藩内の24か所に建碑されたということですが、市内には5基が現存します。
安原荘御舩山之碑は安原八幡神社に所蔵され、他の碑が石製であるのに対して木製であり、高さ186cm、幅72.8cmです。文化11年(1834)に碑文を作成しています。碑文の内容は、記紀に伝わる神功皇后の三韓征伐の後、皇后と誉田別尊(後の応神天皇)が忍熊王の難をさけ紀水門に到着し、津田浦(現在の安原小学校の辺り)に再上陸し頓宮を営んだ跡が、安原八幡神社であるとされています。