和歌山市の文化財・遺跡

西岸寺の板碑

詳細情報

西岸寺の板碑
    読み仮名 せいがんじのいたび
    指定 市指定文化財 史跡・名勝
    指定日 昭和60年(1985)4月9日
    時代 江戸時代
    地区 本町・城北・雄湊・中之島地区
    所在地/所有者等 小人町南ノ丁/西岸寺

    〔種別〕史跡

     板碑は西岸寺の墓地のほぼ中央にあります。この板碑は大坂夏の陣(1615年)で戦死した安藤彦四郎重能(享年29)の供養のため弟の安藤彦兵衛が建立したものです。建立年代は銘文にはないものの建立者名などから考えて寛永年間はじめ(1620年代)と考えられます。
     安藤彦四郎は紀州徳川家家老である田辺藩主安藤帯刀の嫡子でしたが、大坂夏の陣で戦死し、はじめ大阪の長福寺(大阪市平野区)に葬られますが、のちに三河国へ改葬されました。西岸寺の寺伝によると、この板碑はもと大阪の一心寺(大阪市天王寺区)にあったもので、安藤彦四郎の孫である第4代田辺藩主安藤直清により和歌山に移転されたと考えられます。

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