李梅渓の墓
詳細情報
読み仮名 | りばいけいのはか |
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指定 | 市指定文化財 史跡・名勝 |
指定日 | 昭和63年(1988)3月30日 |
時代 | 江戸時代 |
地区 | 本町・城北・雄湊・中之島地区 |
所在地/所有者等 | 道場町/海善寺 |
〔種別〕史跡
李梅渓は元和3年(1617)に李真栄の子として紀州に生まれます。寛永11年(1634)には家督を相続し、30石の儒者となります。藩儒学者永田善斎の弟子となり、京都にも遊学し、後に切米80石に加増されています。寛文12年(1672)「徳川創業記考異」を30年かかって完成させ幕府に献上するとその功績により知行300石に加増されます。のちに、葛城山麓の梅原村(現和歌山市)を与えられ、梅渓と号したとされています。
また、李梅渓は頼宣に命じられ「父母状」を作成しています。父母状は親孝行の大切さや、法律を守ること、正直を第一として家業に専念することなどが書かれており、領内に配布されました。父母状の碑は、海善寺のほかに岡公園にも建てられています。
李梅渓は天和2年(1682)10月22日に亡くなり、父真栄の墓のある海善寺に葬られました。