主屋は有田市箕島に建っていたのを文久2年(1862)に現在地まで「いかだ」で運び移築したものです。費用は当時「銀弐拾弐貫目(約82kg)」を要したと記載されています。江戸後期の木造平屋建の瓦葺で、特に鶴を描いた襖絵が立てこまれた「鶴の間(22畳)」と称する座敷が華やかです。