小原桃洞墓
詳細情報
読み仮名 | おはらとうどうはか |
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指定 | 県指定文化財 史跡・名勝 |
指定日 | 昭和33(1958)4月1日 |
時代 | 江戸時代 |
地区 | 吹上・高松地区 |
所在地/所有者等 | 吹上/大恩寺 |
〔種別〕史跡
紀伊藩医で名は良貴、通称源三郎、号桃洞といいます。医学を吉益東洞に、本草学を小野蘭山に学びました。1,700余品の動植鉱物を集録した『本草余纂』が主著で、ほかに『南紀土産考』『南海介譜』『南海魚譜』などの地方動植物誌があります。これらの業績により、紀州藩の本草学の先覚者として、その功績は高く評価されています。
小原桃洞は文政8年(1825)7月11日に和歌山で没しており、門人たちにより吹上の大恩寺に葬られました。