寺内28号墳

 岩橋千塚古墳群に含まれる寺内古墳中の1基で、岩橋山地から南へのびる支脈上の標高約40m前後に構築された前方後円墳です。全長28.6m、後円部径13mで前方部を北に向け、後円部に玄室長が0.9mと極めて短い「T字型」横穴式石室、前方部に岩橋型横穴式石室が構築されていました。前方部石室から玉類(管玉5点)、土師器(壺、埦)、須恵器(器台、杯)、馬具(轡)、鉄器(鎌)が出土しています。後円部頂部を方形に囲む埴輪列、墳丘裾部を盾型に囲む埴輪列があり、円筒埴輪、形象埴輪(家、盾)が出土しています。6世紀後半に構築された有力者の墳墓であり、時期の判明している古墳のなかでは、岩橋千塚古墳群のなかで、最も遅くに築造された前方後円墳の一つとみられます。

〔写真〕横穴式石室(後円部)、T字型横穴式石室(前方部)、須恵器(短頸壺)

寺内63号墳

 岩橋千塚古墳群の所在する岩橋山地の尾根から南西に伸びる支脈の先端部、標高46mに立地する円墳です。直径約25m、高さは約4mで、墳頂部全面と東・南斜面に多量の片岩礫が密集して検出され、葺石ではないかと報告されています。主体部としては、長さ約5.7mの割竹形木棺を入れた粘土槨1基と長さ約2.1mの箱式とみられる木棺を直接設置した施設が1基検出され、割竹形木棺からは、鉄剣、鉄鏃、三角板革綴短甲の破片が出土し、木棺からは蛇行状鉄剣、刀子、竹櫛が出土しました。5世紀中頃の築造とみられ、岩橋千塚古墳群では数少ない中期古墳の実例として重要です。

〔写真〕粘土槨、斜面の葺石状の石材

井辺前山26号墳

 井辺前山26号墳は、福飯ヶ峯の北の支尾根上に立地します。同じ尾根の頂上には、5世紀以前の全長約60mの前方後円墳である井辺前山24号墳があります。井辺前山26号墳はその北側斜面の一段下にあたり、全長19.5mの小型の前方後円墳です。
 平成9年(1991)の発掘調査により、墳丘上から円筒埴輪や人物・動物・家・盾などの形象埴輪が発見され、くびれ部分からは須恵器や土師器を10数点ずつ埋納した土坑2基が発見されました。古墳の築造時期は6世紀初頭で埋葬施設は竪穴式石室を使用しています。同時期の他の古墳が新しい葬法である横穴式石室を採用しているのに対し対照的です。

〔写真〕竪穴式石室、土器埋納遺構

将軍塚古墳

〔種別〕特別史跡

 標高約150mの岩橋前山山頂付近にある前方後円墳です。埋葬施設は横穴式石室が前方部と後円部にそれぞれ造られています。後円部の横穴式石室は、羨道・玄室通廊部・玄室があり、玄室の床から天井までの高さは約4.3mあります。石室には石棚と石梁があり、羨道にも石梁があります。羨道は2枚の扉石で閉じられ、玄室よりも約20cm床が高く造られていました。玄室の床には川原石が敷きつめられ、床下には玄室に溜まった水を石室の外に排水できるように溝がめぐらされています。後円部石室からは銀環・玉類・鉄器・壷や高杯の一部が、前方部の石室からは須恵器や馬具の破片などが見つかっています。古墳の築造時期は6世紀後半と考えられます。

〔写真〕玄室の玄門部、石棚

将軍塚古墳

 標高約150mの岩橋前山山頂付近にある前方後円墳です。埋葬施設は横穴式石室が前方部と後円部にそれぞれ造られています。後円部の横穴式石室は、羨道・玄室通廊部・玄室があり、玄室の床から天井までの高さは約4.3mあります。石室には石棚と石梁があり、羨道にも石梁があります。羨道は2枚の扉石で閉じられ、玄室よりも約20cm床が高く造られていました。玄室の床には川原石が敷きつめられ、床下には玄室に溜まった水を石室の外に排水できるように溝がめぐらされています。後円部石室からは銀環・玉類・鉄器・壺や高杯の一部が、前方部の石室からは須恵器や馬具の破片などが見つかっています。古墳の築造時期は6世紀後半と考えられます。

〔写真〕前壁と玄門閉塞石、玄室の石棚と棺材

大日山35号墳

〔種別〕特別史跡

 岩橋千塚古墳群中の前方後円墳で、岩橋山地の西端、標高141mの大日山山頂に位置します。平成15年度(2003年度)以降の整備事業に伴う発掘調査により、墳丘は三段構成で最下段は全長約105mの盾形の基壇で、その上に二段構成で墳長約86mの前方後円形の墳丘を構築していることが判明しました。後円部には、石棚をもつ岩橋型と呼ばれる横穴式石室が築かれています。くびれ部の東西の造り出しからは、調査により多量の形象埴輪が出土しました。
 形象埴輪には、家、人物(盛装男子、武人、力士、巫女など)、動物(馬、牛、猪、犬、水鳥、鳥)、器財(大刀、胡籙、蓋など)があり、なかでも頭部の両側に顔をもつ両面人物埴輪や翼を広げて飛翔する鳥形埴輪、矢をいれる道具を表現した胡籙形埴輪は全国初例のもので、注目されます。出土した須恵器や埴輪から6世紀前半頃に築かれた首長墓の一つとみられます。

〔写真〕横穴式石室、造り出し、鳥形埴輪、胡籙形埴輪

寺内57号墳

 岩橋千塚古墳群の築かれた岩橋山地の南斜面に位置します。直径35~40mの円墳と推定され、大型横穴式石室を埋葬主体とします。盗掘等により玄室部は天井石が落ち込み、崩落していましたが、羨道部の形態はよく残されています。築造は6世紀後半頃と思われ、石室の復元全長は推定で11m以上にも及び、同時期の岩橋千塚古墳群中で最大規模であり、首長墓の一つと考えられます。玄室内の部分調査により、須恵器が出土しています。

〔写真〕羨道部、開口部

岩橋千塚古墳群

 岩橋千塚古墳群は、岩橋山地の前山地区を中心に、花山・大谷山・大日山・寺内・井辺・井辺前山の各地区の山地全体に広く分布する古墳群です。古墳の総数は700基を越え、史跡指定地内には400基ほどの古墳が所在します。
 国内では最大規模の群集墳であり、結晶片岩を部材とする石梁や石棚を備えた特徴的な横穴式石室がみとめられることから、古墳群の一部が昭和27年(1952)に国の特別史跡に指定されています。
 古墳の築造時期は古墳時代中期から後期で、そのなかでも6世紀後半が中心です。現在確認されている古墳は前方後円墳27基、方墳4基、その他が円墳です。これらの造墓集団としては、日本書紀や古事記に記されている古代豪族の紀氏が想定されています。

井辺1号墳

 岩橋千塚古墳群なかで、大日山の南斜面にあたる井辺地区に、27基の古墳が密集しています。井辺1号墳は井辺地区で最大の古墳で、6世紀末から7世紀前半頃につくられた方墳です。
 墳丘は北辺28m、南辺40m、東辺39m、西辺38mで、南に向かって広がっています。南に開口する横穴式石室は、全長10.85m、玄室幅4.5m、玄室高2.8mで、奥壁近くに石棚と石梁を設けています。
 昭和41年(1966)からの関西大学考古学研究室による発掘調査では、金環(耳環)、刀鞘責金具、輪状銅製品などの金属製品や須恵器、土師器が発見されました。

〔写真〕横穴式石室、須恵器、耳環・銅製品

井辺八幡山古墳

 福飯ヶ峰の北東に位置する八幡山の山頂にあり、井辺前山古墳群中で最大の前方後円墳です。昭和44年(1969)に同志社大学考古学研究室が発掘調査を行いました。墳丘の全長88m、後円部の径45mで、くびれ部には東西に方形の造り出しがあります。造り出しからは、円筒埴輪のほかに家、盾、武人、力士、巫女、馬、猪などをかたどった埴輪や、大甕、壺、器台などの須恵器が数多く発見されました。
 特に、顔に入墨がある力士(和歌山市指定文化財)、角杯を背負った男子、挂甲をまとった武人などの埴輪は注目されました。岩橋千塚古墳群の中で、大日山35号墳、大谷山22号墳についで6世紀前半~中葉につくられたと考えられています。

〔写真〕造り出し部の埴輪出土状況、須恵器(装飾付器台)、須恵器(耳杯)、角杯を背負う人物埴輪