東照宮縁起絵巻

〔種別〕絵画

 初代藩主徳川頼宣が奉納したと伝えられる、5巻ともに紙本金地著色の巻子装(各縦36.0cm、全長838.7cm)で、白地葵紋散金襴の表紙に八角の水晶製の軸端という豪華な仕立ての絵巻です。
 東照宮縁起絵巻は徳川家康の生涯の主要場面と、没後の久能山葬送と日光への改葬、寛永17年(1640)の三代将軍家光による家康二十五回忌大法要、紀州初代藩主徳川頼宣による紀州東照宮の造営と和歌祭を詞書・絵各二十八段の構成で描いたものです。二十七段までは寛永17年に家光により日光東照宮に奉納された「日光本東照宮縁起絵巻」とほぼ同様のものですが、紀州東照宮造営と和歌祭を描いた二十八段目はこの絵巻にのみ存在しています。

〔写真〕東照宮縁起絵巻 二十八段 和歌祭(東照宮~天満宮、市町~片男波御旅所、出島付近)

弓箭具

〔種別〕工芸

 徳川家康所用品として紀州徳川家に伝来していた弓矢(矢1手、弓9張、附蒔絵弓櫃1合、矢2具(228本))で、徳川頼宣および明治4年(1871)に徳川茂承により奉納されました。頼宣奉納品のうち黒漆塗の下地に藤を巻いた重藤の弓で、さらに上から上質の黒漆がかけられています。また、弓櫃・矢櫃はともに梨地雲霞文蒔絵で、両側面に鍍金錠前金具のついた豪華でありながら実用性と堅牢さをも兼ね備えています。

〔写真〕矢・蒔絵矢櫃

甲冑

〔種別〕工芸

 紀州東照宮の甲冑は徳川家康所用品を徳川頼宣が寄進したものと、家康・頼宣所用品を最後の紀州藩主徳川茂承が寄進したものなどからなります。特に、頼宣により奉納された南蛮兜はヨーロッパ製の南蛮兜を忠実に模して造られた兜で、紀州東照宮および日光東照宮伝来の重要文化財の南蛮兜とともに徳川家康秘蔵の兜のうちの一つであることが知られています。また、縹糸威胴丸具足は頼宣が初陣である大坂の陣で着用したとされるもので、茂承により明治9年(1876)に奉納されました。

〔写真〕縹糸威胴丸具足、紺糸威胴丸具足

歴代紀州藩主奉納刀

〔種別〕工芸

 東照宮に伝来する刀剣は紀州徳川家初代藩主頼宣以来、歴代藩主によって寄進されたものです。これらの太刀はいずれも寄進者が糸巻太刀拵を新調して寄進するのを慣わしとしていました。刀身は、家康が所持したと伝えるものと初代頼宣から六代宗直までが寄進したものは、平安時代~鎌倉時代に作刀された古刀が多くみられますが、それ以降に寄進されたものは、江戸時代に新たに作刀された新刀が多くみられます。なお、これらの刀剣を寄進する際には、奉納者が新たに糸巻太刀拵を新調することが慣例となっていました。

〔写真〕太刀銘備前長船守行糸巻太刀拵(紀州藩二代藩主徳川光貞奉納)、太刀銘肥前佐賀住行永糸巻太刀拵(紀州藩十代藩主徳川治宝奉納)

歓喜寺文書

〔種別〕書跡

 歓喜寺は、宝治2年(1248)頃僧恵鏡が京都に開創した蓮光寺に由来するといわれ、のちに歓喜寺と改称されました。正平7年(1352)頃歓喜寺の名称とともに和佐庄内薬徳寺に引継がれ現在に到っています。中世史料のほとんどない紀ノ川下流域の中世史を構成する上で不可欠な資料となっています。特に嘉暦2年(1327)の和与(訴訟における和解)関係の文書や熊野参詣者の接待に関する文書は異色の資料といえます。時代的には13世紀後半から17世紀前半にかけてのものです。

〔写真〕和佐荘下村公文得分公事注文案、僧道覚・沙弥智性連署和与状案、沙弥道珎田畠寄進状

紀州三浦家文書

〔種別〕書跡

 和歌山大学紀州経済史文化史研究所に所蔵されている「三浦家文書」は、紀州徳川藩の家老であった三浦家に代々伝わる490点の古文書です。その内容は、慶長13年(1608)から明治30年(1897)代に及ぶもので、知行目録、藩御用書状留・日誌・覚帳、知行所支配、家政役覚帳、家譜伝記、書状控、冠婚葬祭・献立等、学芸・文芸の8項目に分類できます。これらの文書は、質量ともに紀州藩史料としても、家老文書としても大変貴重なものです。

〔写真〕知行加増目録(家康朱印状)、家乗(寛永9年~)、御用番留帳

丹生廣良氏所蔵天野文書

〔種別〕書跡

 丹生家は丹生都比売神社の旧社家で、歴代同神社の神職家です。当家には200余点に及ぶ古文書が伝来しており、そのうち経済史、文化史上の貴重な資料である中世文書46点を10巻に表現したものが本品です。内容は平安時代から江戸時代に及ぶ多彩なもので、大半が丹生都比売神社にゆかりのあるものです。特に第一巻の丹生祝氏本系帳は丹生氏の家系と大神への奉仕の由来を述べた貴重なものです。

円光大師御絵伝

〔種別〕絵画

 円光大師とは浄土宗の開祖法然のことです。18幅(各85.6cm×178.9cm)からなる本図は法然の生誕から入寂までを描いた絵伝で、総持寺第四十二世住持弁才によって本堂再建・釈迦堂建立のための勧進を目的として製作されたものです。
 勧進の趣旨を記した第1幅の裏を除く各軸の裏には勧進者名が列記されており、その総数は約2,100名にも及びます。なお、本図は絵解きのために掛け幅の形態で制作されていますが、原本の詞書を伴う絵巻の名残をとどめています。

〔写真〕円光大師御絵伝第1幅

西山国師御絵伝

〔種別〕絵画

 西山国師とは法然の弟子で西山派の祖となった証空のことです。本図は証空の誕生から入寂までの生涯を描いた絵伝で、総持寺第42世住持弁才が総持寺に入寺する前に刊行した「西山鑑知国師絵伝」(全5巻)の1~4巻を貼り合わせて4幅(88.3cm×193.5cm)に仕立て、彩色を施したものです。木版本の絵伝を貼り合わせてその上に彩色するという全国でも類例のない特異な手法によるものです。

〔写真〕西山国師御絵伝第2幅

赤坂御庭図画帖

〔種別〕絵画

 本画帖(28.0cm×41.5cm)は紀州徳川家の江戸中屋敷である赤坂邸(現赤坂御用地)の庭園「西園」の四季折々の風景を描いた画帖です。全部で15図が収められており、外箱には「記録部類 赤坂御庭図 一六四号 南紀徳川家」というラベルがあり、紀州徳川家に伝来した作品であることがわかります。
 本画帖には「西園」の60を超える名所のうち14か所15図画が坂昇春により描かれています。また、各画面の上部には短冊形の料紙に「洗心亭残月」「長生村仲夏」「冝春観開花」というふうに建物等の雅号と季節が記されています。
 このように本画帖は赤坂邸「西園」をビジュアル的に知ることのできる数少ない貴重な資料の一つといえます。

〔写真〕洗心亭残月、青崖埒打球之図、鳳鳴閣春草、向陽亭 初春二