太刀 銘信国

〔種別〕工芸

 正徳5年(1715)4月に五代藩主徳川吉宗が家康の百回忌にあたり奉納した太刀(身長71.5cm)です。二代藩主・光貞奉納の一口と同じく、室町時代に活躍した京都の刀工・信国の作で、互の目を基調に、尖刃や飛焼を交えた刃文を持っています。現在は失われていますが、もとは糸巻太刀拵が付属していました。

〔写真〕刀身

太刀 銘守家(附 糸巻太刀拵)

〔種別〕工芸

 刀身は、鎌倉時代中期頃の備前国畠田の刀工・守家の作です。特色とされる鞋子丁字は見られませんが、丁字乱互の目交じりの華やかな刃文の太刀(身長72.4cm、反り2.8cm)です。江戸時代に作られた付属する糸巻太刀拵は、柄巻・渡巻ともに紫糸で、鞘は梨地に葵紋を散らした蒔絵で、魚々子を打った赤銅地に金の葵紋をあしらった金具を付けられています。

〔写真〕糸巻太刀拵

太刀 銘左近将監景依(附 糸巻太刀拵)

〔種別〕工芸

 小沸のついた小乱に小丁字、小互の目交じりの刃文を持つ刀身(身長75.0cm、反り2.8cm)で、古備前派の末裔、景依の代表作として世に知られた太刀です。江戸時代に作られた付属する糸巻太刀拵は、巻糸は茶色で、鞘は梨子地に菊紋と桐紋を交互に配した蒔絵に、魚々子を打った赤銅地に金で桐紋をあしらった金具を付けられています。また、帯執の先端にはめられた金の鬼面の意匠も秀逸です。

〔写真〕糸巻太刀拵

太刀 銘光忠(附 糸巻太刀拵)

〔種別〕工芸

 備前長船鍛冶隆盛の礎を築いた刀工・光忠の太刀(身長74.0cm、反り3.2cm)で、流派の特徴である華やかな丁字乱れの美しい刃文を持ちます。江戸時代に作られた附属する拵は、柄巻・鞘巻とも紫糸で鞘は梨子地に金の蒔絵紛を密に蒔きつめた沃懸地の桐紋を散らした蒔絵です。魚々子を打った赤銅地に金で桐紋をあしらった金具を付けた格調の高い太刀拵となっています。

〔写真〕糸巻太刀拵

太刀 銘元重

〔種別〕工芸

 直刃調の小乱で小丁字交じりの刃文を持ち、佩裏に銘を切る太刀(身長80.0cm)で、作者は備中国青江の元重です。身幅が幾分広く、反りも高い中鋒で、堂々とした太刀姿であり、非常に重さがあります。明治14年(1881)9月に、長尾家から南龍神社に奉納されたもので、のちに南龍神社が東照宮に合祀されたため、東照宮の所蔵となったものです。

〔写真〕刀身

太刀 銘安綱(附 糸巻太刀拵)

〔種別〕工芸

 紀州藩初代藩主徳川頼宣が父である家康の五十回忌に際し、奉納した太刀です。刀身(身長80.6cm、反り2.5cm)は平安時代後期の伯耆国の刀工・安綱の作で、広直刃に小互の目を交えた美しい刃文を持ちます。江戸時代に作られた太刀拵は典型的な糸巻き太刀拵で、柄・鞘ともに巻糸は茶とし、鞘は梨子地に葵紋を散らした蒔絵です。金具はすべて魚々子を打った赤銅地に金で葵紋をあしらった華麗なものです。

〔写真〕糸巻太刀拵

水軒堤防

〔種別〕史跡

 紀ノ川の南岸の西浜に築かれた南北約1.0kmに及ぶ江戸時代の堤防跡です。明治及び昭和の文献資料により、紀州藩初代藩主徳川頼宣の命を受け、寛永年間(1624~1644)に朝比奈段右衛門が工事を担当し、13年の歳月をかけ完成したものとされていましたが、その後の道路拡張に伴う発掘調査により、18世紀後半の築造であったことが判明しました。また、堤の北端部・南端部の確認調査により、堤防は海側に石堤、陸側に土堤を併せもつ非常に強固な構造体であり、高さは石堤が約4m、土堤が約5mで、基底部の幅は推定で24m以上にも及ぶことが考えられます。
 築造の背景として、堤防東部の地域が、古代以来の名勝である和歌の浦と一体となった「吹上」の地であり、藩主が遊覧したり別邸を築いたりした西浜の地であることから、防潮とともに景観保持の目的であった可能性も想定されています。なお、道路拡張時の発掘調査により確認された石堤は、上部の6段まで(全体で16段のうち)が、南海水軒線の水軒駅跡地の水軒公園に移築保存されています。

〔写真〕堤防、石堤の南端部分、移築された石堤

和田家住宅(主屋、土蔵、塀)

 和歌浦明光通りに面した商家で、明治36年(1903)建築です。起りのある入母屋造、本瓦葺、木造二階建で、周囲に下屋を廻しています。正面一階は出格子を連続させ、二階壁面は黒漆喰塗、額縁付の格子窓を設けます。重厚かつ風格のある外観をよく残し、隣接する梅本家と共に伝統的な町並景観に大きく寄与しています。

〔写真〕主屋

梅本家住宅(主屋、土蔵、納屋及び車庫)

 和歌浦明光通りに面した大正2年(1913)建築の商家です。木造二階建、瓦葺の主屋は街路に東面した入母屋造の町屋で、周囲に下屋を廻します。正面一階は出格子を連ね、二階壁面は黒漆喰塗り壁に額縁付の木格子窓を備えます。
 隣接する和田家と共に、この通りの歴史的景観に大きく寄与しています。

〔写真〕主屋

多田家住宅(旧和中家住宅)主屋

 和歌浦明光通商店街に西面して建つ明治初期の木造平屋建 、瓦葺建物です。屋根は北を切妻造、南を入母屋造とした本瓦葺のつし二階建で、前面に本瓦葺の下屋を付けます。内部は北を土間、南を床上部とし、南に10畳座敷を延ばしています。和歌浦の歴史的景観を伝える住宅です。