寺内57号墳

 岩橋千塚古墳群の築かれた岩橋山地の南斜面に位置します。直径35~40mの円墳と推定され、大型横穴式石室を埋葬主体とします。盗掘等により玄室部は天井石が落ち込み、崩落していましたが、羨道部の形態はよく残されています。築造は6世紀後半頃と思われ、石室の復元全長は推定で11m以上にも及び、同時期の岩橋千塚古墳群中で最大規模であり、首長墓の一つと考えられます。玄室内の部分調査により、須恵器が出土しています。

〔写真〕羨道部、開口部

岩橋千塚古墳群

 岩橋千塚古墳群は、岩橋山地の前山地区を中心に、花山・大谷山・大日山・寺内・井辺・井辺前山の各地区の山地全体に広く分布する古墳群です。古墳の総数は700基を越え、史跡指定地内には400基ほどの古墳が所在します。
 国内では最大規模の群集墳であり、結晶片岩を部材とする石梁や石棚を備えた特徴的な横穴式石室がみとめられることから、古墳群の一部が昭和27年(1952)に国の特別史跡に指定されています。
 古墳の築造時期は古墳時代中期から後期で、そのなかでも6世紀後半が中心です。現在確認されている古墳は前方後円墳27基、方墳4基、その他が円墳です。これらの造墓集団としては、日本書紀や古事記に記されている古代豪族の紀氏が想定されています。

大谷古墳

 大谷古墳は和泉山脈の南麓から派出した尾根の突端を利用して造られた前方後円墳です。墳丘の大部分が自然の地形を利用しており、尾根の突端から平野を見下ろすようなところに立地しています。
 大谷古墳の主体部は石室を設けずに石棺を直接埋納する形式で、石棺の形式や副葬品から5世紀末から6世紀の初め頃に造営されたと考えられています。
 石棺内や主体部からは馬甲をはじめとする馬具や垂飾付耳飾など、朝鮮半島南部の影響の強いものが多く出土したことからも、この大谷古墳に埋葬された人物が大和朝廷や朝鮮半島とも深い関係を持っていたと考えられます。

〔写真〕遠景(西方より望む)、発見された当時の石棺、短甲と馬冑の出土状況

井辺1号墳

 岩橋千塚古墳群なかで、大日山の南斜面にあたる井辺地区に、27基の古墳が密集しています。井辺1号墳は井辺地区で最大の古墳で、6世紀末から7世紀前半頃につくられた方墳です。
 墳丘は北辺28m、南辺40m、東辺39m、西辺38mで、南に向かって広がっています。南に開口する横穴式石室は、全長10.85m、玄室幅4.5m、玄室高2.8mで、奥壁近くに石棚と石梁を設けています。
 昭和41年(1966)からの関西大学考古学研究室による発掘調査では、金環(耳環)、刀鞘責金具、輪状銅製品などの金属製品や須恵器、土師器が発見されました。

〔写真〕横穴式石室、須恵器、耳環・銅製品

井辺八幡山古墳

 福飯ヶ峰の北東に位置する八幡山の山頂にあり、井辺前山古墳群中で最大の前方後円墳です。昭和44年(1969)に同志社大学考古学研究室が発掘調査を行いました。墳丘の全長88m、後円部の径45mで、くびれ部には東西に方形の造り出しがあります。造り出しからは、円筒埴輪のほかに家、盾、武人、力士、巫女、馬、猪などをかたどった埴輪や、大甕、壺、器台などの須恵器が数多く発見されました。
 特に、顔に入墨がある力士(和歌山市指定文化財)、角杯を背負った男子、挂甲をまとった武人などの埴輪は注目されました。岩橋千塚古墳群の中で、大日山35号墳、大谷山22号墳についで6世紀前半~中葉につくられたと考えられています。

〔写真〕造り出し部の埴輪出土状況、須恵器(装飾付器台)、須恵器(耳杯)、角杯を背負う人物埴輪

井辺前山6号墳

 井辺前山6号墳は岩橋千塚古墳群の井辺前山地区に所在し、昭和41年(1966)、土取り工事にともない発掘調査が行われました。全長52m、後円部の径24mの前方後円墳で、南に開口する横穴式石室があります。石室の全長は6.69mで、馬具、玉類、須恵器、土師器などが出土しました。また、墳丘のくびれ部分から、朝鮮半島から伝来した陶質土器の破片が発見されたことが特徴的です。
 井辺前山6号墳は、井辺前山地区のなかで最大の前方後円墳である井辺八幡山古墳につづき、6世紀中頃につくられたと考えられています。

〔写真〕横穴式石室(羨道部)

大日山35号墳

 岩橋千塚古墳群中の前方後円墳で、岩橋山地の西端、標高141mの大日山山頂に位置します。平成15年(2003)度以降の整備事業に伴う発掘調査により、墳丘は三段構成で最下段は全長約105mの盾形の基壇で、その上に二段構成で墳長約86mの前方後円形の墳丘を構築していることが判明しました。後円部には、石棚をもつ岩橋型と呼ばれる横穴式石室が築かれています。くびれ部の東西の造り出しからは、調査により多量の形象埴輪が出土しました。
 形象埴輪には、家、人物(盛装男子、武人、力士、巫女など)、動物(馬、牛、猪、犬、水鳥、鳥)、器財(大刀、胡籙、蓋など)があり、なかでも頭部の両側に顔をもつ両面人物埴輪や翼を広げて飛翔する鳥形埴輪、矢をいれる道具を表現した胡籙形埴輪は全国初例のもので、注目されます。出土した須恵器や埴輪から6世紀前半頃に築かれた首長墓の一つとみられます。

〔写真〕横穴式石室、造り出し、鳥形埴輪、胡籙形埴輪

坂田遺跡

 坂田遺跡は、神武天皇の兄である彦五瀬命の墓と伝わる竈山神社古墳がある竈山神社の北方に位置し、周辺の独立丘陵上には和田古墳群、三田古墳群、坂田地蔵山古墳群が分布します。県道建設にともなう平成21年(2009)の発掘調査では、古墳時代の掘立柱建物群が発見され、もとは古墳の副葬品であったとみられる琴柱形石製品が出土しました。またその北に位置する宅地開発にともなう平成26年(2014)の発掘調査では、北側の丘陵の南で埋没古墳の周溝が発見され、埴輪が出土しました。中世には多数の柱穴と井戸が確認されており、集落が存在していた可能性が想定されています。

〔写真〕平成21年(2009)調査全景、琴柱形石製品

城ノ前1号墳

 岩橋千塚古墳群から南約4kmに位置する標高約26mの低丘陵の南裾に築かれた古墳です。平成6年(1994)、工事中に横穴式石室の一部がみつかり、調査により幅1.9m、長さ2.6mの玄室と羨道の一部が残されているのが確認され、玄室床面には直径3~10cmの円礫が敷かれていました。玄室の側壁を片岩の小口積みで構築するのは、通常の岩橋型横穴式石室と同様ですが、奥壁に幅2.5m、高さ1.5m以上の片岩の巨石が使用されている点は異なっています。確認された周溝からみて、直径約14mの円墳であったものと推定され、出土品には須恵器、土師器、径8mm前後のガラス玉2点などがあり、6世紀末頃の築造と考えられます。

〔写真〕横穴式石室

平井遺跡

 大谷古墳の西方約500m、丘陵裾に位置する弥生~鎌倉時代の遺跡です。第二阪和国道建設に伴う発掘調査により古墳時代の横穴式石室、埴輪窯、奈良~平安時代の掘立柱建物や井戸が発見されました。特に2基発見された埴輪窯は県内での初めての調査例であり、窯内部からは円筒埴輪、形象埴輪(家形、馬形、人物、双脚輪状文、胡籙形)が出土し、埴輪の特徴から6世紀代に築かれたとみられます。今後、埴輪の分析により、供給先や工人の実態に迫ることができる重要遺跡です。

〔写真〕2号埴輪窯、横穴式石室、掘立柱建物