和歌祭仮面群 面掛行列所用品

 〔種別〕彫刻

 紀州東照宮では、徳川家康の命日にあたる4月17日に春の祭礼である和歌祭がおこなわれています。今日でも、「雑賀踊」「餅搗踊」「面掛」など多くの練り物行列が行われていますが、江戸時代には舞楽や田楽などの芸能も奉納されていました。この「和歌祭仮面群」は渡御行列に加わる練り物の一つである「面掛」に使用された仮面(96面)です。和歌祭の「面掛」は行列に参加する仮面の多さから「百面」とも呼ばれ、和歌祭の練り物の中でも特異な存在です。
 紀州東照宮には、この「面掛」に使用される能面・狂言面・神楽面・鼻高面など96面が伝わっており、これらの面の中には仮面の裏側に「方廣作」という銘文を持つ鎌倉時代末期から南北朝時代にさかのぼる可能性のある神事面をはじめ、室町時代に製作されたと考えられる古風な様式を持った能面・狂言面、近世初頭の有力な面打である「出目満庸有閑(天下一有閑)」が製作した能面など中世~近世の仮面の展開を考える上で重要な情報を有しています。

〔写真〕尉「方廣作」(神事面)、大飛出「出目満庸有閑(天下一有閑)」、和歌祭仮面群

絹本著色狩場明神像

〔種別〕絵画

 高野山の各種の弘法大師伝によれば弘仁7年(816)、空海は真言密教の霊地に相応しい土地を求めて大和から紀伊にいたる山々を踏査していたところ、宇智郡の山中で黒白二頭の猟犬を従えた狩人(狩場明神)に会い、高野山麓の天野の地に至り、そこで丹生明神を紹介されその導きで、高野の霊地を得たとされています。この両明神は高野山の地主神であり、狩場明神も本来は狩猟を生業とする古代史族が祀っていた神であったと考えられます。
 本図(縦93.2cm、横41.4cm)の狩場明神は筋骨たくましい赤色身に茶色の無地の狩衣を着、白犬を連れた姿で表されています。なお、本図が伝えられた丹生家は歴代丹生津比売神社(高野山天野社)に神職として仕えていました。

甲冑

〔種別〕工芸

 紀州東照宮の甲冑は徳川家康所用品を徳川頼宣が寄進したものと、家康・頼宣所用品を最後の紀州藩主徳川茂承が寄進したものなどからなります。特に、頼宣により奉納された南蛮兜はヨーロッパ製の南蛮兜を忠実に模して造られた兜で、紀州東照宮および日光東照宮伝来の重要文化財の南蛮兜とともに徳川家康秘蔵の兜のうちの一つであることが知られています。また、縹糸威胴丸具足は頼宣が初陣である大坂の陣で着用したとされるもので、茂承により明治9年(1876)に奉納されました。

〔写真〕縹糸威胴丸具足、紺糸威胴丸具足

歴代紀州藩主奉納刀

〔種別〕工芸

 東照宮に伝来する刀剣は紀州徳川家初代藩主頼宣以来、歴代藩主によって寄進されたものです。これらの太刀はいずれも寄進者が糸巻太刀拵を新調して寄進するのを慣わしとしていました。刀身は、家康が所持したと伝えるものと初代頼宣から六代宗直までが寄進したものは、平安時代~鎌倉時代に作刀された古刀が多くみられますが、それ以降に寄進されたものは、江戸時代に新たに作刀された新刀が多くみられます。なお、これらの刀剣を寄進する際には、奉納者が新たに糸巻太刀拵を新調することが慣例となっていました。

〔写真〕太刀銘備前長船守行糸巻太刀拵(紀州藩二代藩主徳川光貞奉納)、太刀銘肥前佐賀住行永糸巻太刀拵(紀州藩十代藩主徳川治宝奉納)

歓喜寺文書

〔種別〕書跡

 歓喜寺は、宝治2年(1248)頃僧恵鏡が京都に開創した蓮光寺に由来するといわれ、のちに歓喜寺と改称されました。正平7年(1352)頃歓喜寺の名称とともに和佐庄内薬徳寺に引継がれ現在に到っています。中世史料のほとんどない紀ノ川下流域の中世史を構成する上で不可欠な資料となっています。特に嘉暦2年(1327)の和与(訴訟における和解)関係の文書や熊野参詣者の接待に関する文書は異色の資料といえます。時代的には13世紀後半から17世紀前半にかけてのものです。

〔写真〕和佐荘下村公文得分公事注文案、僧道覚・沙弥智性連署和与状案、沙弥道珎田畠寄進状

丹生廣良氏所蔵天野文書

〔種別〕書跡

 丹生家は丹生都比売神社の旧社家で、歴代同神社の神職家です。当家には200余点に及ぶ古文書が伝来しており、そのうち経済史、文化史上の貴重な資料である中世文書46点を10巻に表現したものが本品です。内容は平安時代から江戸時代に及ぶ多彩なもので、大半が丹生都比売神社にゆかりのあるものです。特に第一巻の丹生祝氏本系帳は丹生氏の家系と大神への奉仕の由来を述べた貴重なものです。

薬徳寺の狛犬

〔種別〕工芸

 緑泥片岩製の小型の狛犬(像高25.5cm)で、細部の表現は写実的で破たんが少なく、全体的に小ぶりで愛らしい姿で表現されています。狛犬は本来は口を開いた阿形の獅子と角を持ち口を開いた吽形の狛犬で一対であり、口を開いた阿形の本像は獅子に相当します。台座に「長禄三年(1459)八月一日」の紀年銘があり、近世以前の在銘狛犬は珍しく非常に貴重な例と言えます。

木本八幡宮文書

 いずれも八幡宮に寄進された田畑の寄進状であり、時代は永和3年(1377)から大永5年(1525)に及びます。寄進者は木本西庄に居住した武士農民で、田畑は零細なものが多いが、当時(中世後期)の村落の事情、荘園の組織を知る上に貴重なものです。明治24年(1891)、史料編纂所の調査の際に巻子本に仕立てているため保存状態も良好です。

絹本著色十六羅漢像

〔種別〕絵画

 本図は掛幅装・16幅対(各縦87.6cm、横38.2cm)からなる「李龍眠様」の十六羅漢像です。中国・北宋の実在の画家李龍眠(李公麟)は日本では羅漢図の画家として知られています。「李龍眠様」の羅漢図とは中国的な風景や文物を採りいれ、積極的に水墨画の技法や表現を取り入れるところに特徴があります。なお、本図は各幅に「貞和5年(1349)6月1日図絵」との裏書があります。

〔写真〕第8幅、第5幅

太刀 銘信国

〔種別〕工芸

 正徳5年(1715)4月に五代藩主徳川吉宗が家康の百回忌にあたり奉納した太刀(身長71.5cm)です。二代藩主・光貞奉納の一口と同じく、室町時代に活躍した京都の刀工・信国の作で、互の目を基調に、尖刃や飛焼を交えた刃文を持っています。現在は失われていますが、もとは糸巻太刀拵が付属していました。

〔写真〕刀身